その仕事で一番大変なところ

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翻訳家で一番大変なところを経験者10人に聞いてみた

専門知識の吸収


翻訳家の1番大変なことは、仕事ひとつひとつに取り組む以前に専門的な知識の莫大なバックボーンが必要とされるところです。

 

なので普段から言語や、その国の文化に関するあらゆる知識にアンテナを張り吸収することが必要とされます。その国の映画を観たり、新聞をとったり、ニュース、ラジオを聴くことはもちろん、若者の文化やスラング、流行などを熟知することも必要になってきます。

 

そのために常にその国の友人とコミュニケーションを取ったり、SNSなどを使い新しい友人を増やすことも日々行います。それ自体に給料は発生しませんが、それが自らのスキルを伸ばしてくれて、仕事の質、スピードを上げてくれます。そして次の仕事や信頼に繋がるのです。

 

仕事外で知識を得るのは受動的にしていてはなかなか大変なことです。しかし、そういったバックボーンとしての知識大系があってこそ、深い理解の元からその国のや言語に根ざした深い意味の翻訳が可能になるのです。

 


専門知識と納期厳守が、同じくらい大変です。

 

得意分野を限定せずに、いろいろな案件を受けつておりますと、依頼元の事業などに関わる専門知識が必要となることが多いです。これが意外に大変です。得意を選んでいければよいのですが、お付き合いや実績計上などの都合、そうもいかないときもあります。特に、出始めの頃は。

 

言葉では、わかっていても、これを日英・英日で、どう表現するべきか、手っ取り早く、一般的な言い回しでいいのか、深みにはまることがあります。当然、案件の用途、利用者層とそれらの方の理解力、露出方法(Web、紙)などの基本的な周辺情報のヒアリングはするので、ある程度のことは想定して、案件対応を準備して取り組むわけですが、アテがはずれることもあります。

 

個人的には、考古学分野は、歴史・文化に、地学に環境、分析科学など幅広い知識が必要となる場合もあり、類例で他の文献や論文をあたっているうちに、目先の仕事からとんでもなく遠くにいた、なんていうときもあります。

 

情報取材で、外部の機関や施設で調べものなんかを必要とすると気付いたときには、当然、調べる事項をあらかじめピンポイントしておいたりと、前処理のための前処理という作業も生じますので、とにかく段取り力です。これ納期厳守にも影響しますので。陽のあるうちは調べものとヒアリング、夜に文書化ということにもなります。全部の案件がそうじゃないですが。

 

また、当然ですが、納期の問題は、今後の信用にかかわりますので死守です。うっかりしていると、とてもしんどいことになることがあります。キチンとした自己管理、つまりは自分の処理能力の把握と案件に要する正確な作業見込み、自分のスケジューリング、それに適切な余力を空けておく勇気が必要かなと思います。

 


翻訳家としての大変なところは、まずその言語を100%理解しておかなければならないことです。小説の翻訳や、契約書の翻訳などなど、ケースバイケースで様々な用語を扱わないといけません。

 

そのため、単純に話し、読み、書けるだけではなく、現地の人間として仕事を行わないといけません。

 

翻訳家にも、メールを翻訳するだけという簡単な仕事も有るのですが、稼げるのは企業案件です。やはりハードルが高く誰でもできると言う訳ではありません。それゆえ、かなりの言語力が必要になります。

 

また、英語や中国語などは話せて当たり前の時代です。翻訳家としてはニッチな国の言語が話せるほうが有利です。アフリカや、南米、アジアなど、言語としてかなり複雑なものほどお給料が良いです。

 

最近はグローバル化が進んでおり、海外の人間が日本語をマスターして翻訳業界に入ってきているケースも有ります。その為、差別化を図るためにも日々勉強し、1年に何度かはその国へ行って学ぶ必要があります。

 

その言語にしかない概念を翻訳すること


もちろん、日本語と外国語を相互に翻訳するその作業自体も大変です。大抵の単語は単一の意味しか無いわけではなく、複数の意味があって状況に応じてこれはこういう意味で使っているからこう翻訳せねばならないだろうなと判断していくのが本当に大変です。

 

しかし、それは単に外国語に対する理解度や、徹底的に辞書を引いたりじっくりと読むことでいくらでもカバーが出来ます。

 

一番難しいのは、その言語にしか無い概念を翻訳する時、これが一番難しいです。

 

典型例を言えば日本語のダジャレです。映画やアニメでダジャレが出てきたとします、しかし、それは日本語だから成立するダジャレなのであってそれを外国語に翻訳しようと思ってもやりようがありません。そんな時はわざわざそのダジャレを外国語で説明する必要が出てきます。或いは作品化された映画やアニメならダジャレを省いて無難な会話に差し替えたりするでしょう。

 

もう一つは、日本独自の慣習が話題に出てきた時です。例えば、干支は西洋には無いので英語圏の人には理解されません。そこで年男年女の話題が出たとします。そして「年男年女同士で結婚したのか、ということは24歳か」という会話があったとします。

 

日本人なら、年男と年女が同い年で結婚したと聞けば24歳だと瞬時に理解しますが、干支の概念を持たない外国人には何故唐突に24という数字が出てきたのか理解に苦しむことでしょう。その解説として注釈を付けて説明する必要が出てきます。

 

こういったことが、翻訳の難しいところだと考えており、また翻訳を生業とする人間の腕の見せ所だと感じています。

 

頭の中で言語を切り替えること


今回は、英語から日本語への翻訳について書かせて頂きます。翻訳をするのに一番大変な事は、まず、英語を読んでいると、脳が英語で全てを理解するので、日本語に持って行くのが大変と言う事です。

 

これは、大した事ないと思う方も居ると思いますが、私の場合、英語を使う時は物事を英語で考え、日本語を使う時は日本語で物事を考えるので、突然言語が入れ替わると、一瞬時間が止まり、今何を話していたかを考える時間が必要になります。

 

例えば、英語を翻訳しようと読んで居ると、頭の中では、英語でその文に対しての気持ちが入るので、さて、今から日本語を書こうと思っても、頭の中はまだ英語で返事をしてしまっています。バイリンガルでは、翻訳はすぐにできると思われる事が多くありますが、人によっては、私の様に一瞬間を置いて翻訳に入る人もいます。

 

その他にも、英語では表現できるけど、その表現が日本語に無かったり、あったとしても直訳だと全く違う意味になってしまう場合、違う言葉を探してなるべく同じ意味で表現する必要があります。

 

なので、翻訳はやりがいはもちろんありますし、楽しい仕事ですが、人が思って居る以上に頭が疲れます。

 

翻訳の品質をわかってもらえない


翻訳家として一番大変なことは、英語や外国の事情が分からない人から仕事の依頼を受け英訳することです。

 

和訳ですと依頼者が読むのは日本語なので自分が読める?理解出来るので、良い訳を納品すれば良い仕事をしたと納得いただけます。しかし、英訳の場合、依頼者に一定の英語力がない場合品質や正確性を信用してもらえないことがありストレスです。

 

具体的な例で言えば、あまり仕事を依頼したことのない人に多いのが、「英語ネイティブにしか良い翻訳が出来ない」と思っている勘違いです。

 

社内翻訳で大手の企業で数社働きましたが、優秀な英語ネイティブの翻訳家には一人しか会ったことがありません。英語ネイティブの場合、自然な英文を勿論書けるのですが、日本語の意味を取り違えやすく誤訳が多いからです。

 

依頼者自身もTOEIC800点位の人から依頼いただいていた際には英訳をチェックしていただき正しいかどうかも依頼者自身で理解できるので評価いただき大変やりやすかったです。

 

韻や言葉遊びを翻訳すること


翻訳とは原文の意味だけでなく、ニュアンスやリズムなども日本語で表現する行為です。なかでも私にとって一番大変なのは、英語の韻や言葉遊びなどを日本語でどう訳すかということです。

 

原文と等価のユーモアに近づけようとあれこれ考えますが、その苦労が表れて説明っぽくなってしまっては台無しです。原文のユーモアの程度や、アイロニー、あるいはエスプリを利かせているのかを読み取って、日本語に置き換えるというのはなかなか骨の折れる作業になります。ですが、だからこそ考えに考え抜いた先にこれぞという訳語が思いついた時の喜びはひとしおです。

 

翻訳はサービス業であり、読者に作品を手渡すのが翻訳家の仕事です。ただ受動的に読み、機械的に文字を移植するような翻訳では、読者に何も伝えることはできません。忠実な翻訳を実現するならば、むしろ訳者が原文と能動的に関わり、微妙な語調の変化や原文に含まれている暗示など、さまざまなサインを読み取る力が必要です。

 

最近発生した言葉の翻訳


一番大変なことはやはり新規にあらわれる単語や語句をどのように扱うかではないでしょうか。

 

日本語から外国語に翻訳するときでも、また外国語から日本語へというときでも、その言語において通常の生活空間でこれまで普通に使われていなかった言葉が登場したときには、当然ながらその訳語も定まっていないゆえに、どのように対応したらよいか考えてしまうものです。新しい言葉ゆえに、いまだ正確な社会的な立場を確立していないということもあるのでしょうが、どこまで断定的にまた恣意的に翻訳してよいか迷ってしまうものです。

 

たとえば、日本語において「やばい」という言葉を英訳するときに、ときに一語で合いそうな言葉を当てはめることもできますが、ときに語句また文として訳したほうが適切と思われることもあるのではないでしょうか。

 

また、「IoT」という単語もいまではよく見るようになりましたが、一昔前までは、そのまま「IoT」としても具体的に何を意味するかを付記しなければ、意味を解することはできなかったように感じます。

 

原作者の意図に沿った翻訳


原作者の意図に沿った翻訳ができているか、いつも気になります。

 

日本には、季節を取り入れたキレイな言葉が沢山あります。例えば倉木麻衣さんの曲の歌詞に、「薄氷冴返る遠い記憶」という部分があります。日本人なら何となく伝わる季節の言葉でも、これを他国の言葉で置き換えるには、かなり難儀します。あまり深く考えなければささっとできますが、やはりここは趣きを重視して、日本人の心を忠実に表現したいところです。

 

逆もまたしかりです。例えば、他国の方たちは愛情表現に富んでいます。「パパ、ママ、愛してるよ」とよく言いあっていますが、日本人は心ではそう思っていても、なかなか言葉では表現しません。会うたび抱き合うことも、そう頻繁にはないです。他にも、お悔やみの言葉も、他国の言葉には深い愛情を感じます。

 

そういう、自分の国にはない習慣をうまく日本語に訳するのも、簡単な言葉だからこそ想いをどれだけ込めることができるか、難しさを感じます。

 

日本語力


翻訳家で大変なことというと「外国語の語学力」だと思われがちですが、実はいちばん大変なのは「日本語力」なんです。

 

わからない外国語の単語は調べればどうにかなるものも多く、その単語や文の雰囲気をつかめれば意味を理解することはできます。難しいのは、それを日本語でどう表現するかなんです。

 

どの日本語を選ぶのか。そのセンスが翻訳家には問われ、どんなに外国語で書かれた文が面白いもの、興味深い内容のものでも翻訳家のセンス一つで駄文へと堕ちてしまうのです。

 

そのセンスの身につけ方を教えてくれる学校もなければ、先生がいないのも当たり前。翻訳技術は教わることができてもセンスを磨くのは自分の努力だけなのです。

 

教養を深め、新しいことも古いことも知っているようにアンテナを張り巡らせる。日常の中で日本語でなんて呼ぶかわからないものを見つけた時はきちんと調べて頭に入れる。あらゆるジャンルの本を読んでいろんな文体をイメージできるようにする。外国語力をより深めるのももちろんです。

 

日本語はネイティブだから外国語ができたら翻訳なんて簡単…なんてとんでもない。センスを磨くという、半端ない努力をし続けなけれないけないのが、翻訳家のいちばん大変なことなのです。